人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる』。
主は言われた、 「この民は口をもってわたしに近づき、 くちびるをもってわたしを敬うけれども、 その心はわたしから遠く離れ、 彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、 そらで覚えた人の戒めによるのである。
人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる』」。
もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。
また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。
この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
むなしい物に迷って行ってはならない。それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。
あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。
ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
あなたがたは言った、『神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか。
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。